ボブ・ディラン/欲望

ぼくにはディランがわからなかった。
ディランその人よりも、あからさまな彼の影響下にある何人かの日本のフォーク・シンガーの方が、ぼくにはずっと興味深かった。76年のこの作品に出会うまで。

無名のジプシー・バイオリニスト、スカーレット・リヴェラを従えて、ディランは音でぼくをねじ伏せた。その日のことは、今もよく覚えている。日曜日の午後、なにげなくつけたFM放送からそれは流れてきたのだった。8分を超える長いその曲の間中、ぼくは耳をそばだてっぱなしだった。

ディランの声もリヴェラのフィドルも、恐ろしいほどに雄弁だった。なにを言っているのかはもちろんわからなかったが、圧倒的なメッセージが伝えられていることは体感できた。そのことだけはびんびんに伝わった。時と場所を超え、音楽とはこのようにして意思を伝達していくのだという思いが、そのとき初めてぼくを打った。それが「ハリケーン」だった。

すぐさまレコードを買いに走り、エミルー・ハリスとデュエットされる「コーヒーもう一杯」や「オー、シスター」に感極まり、そしてラストの「サラ」を聴くにいたって、ついにぼくは泣いてしまう。かくしてディランは、ぼくの許にも降臨したのであった。

2002.11