林憶蓮は、ここから始まる。
この作品を前にして、それまでのいくつかは習作にも等しい。

ミュージシャンと呼ばれる人種には2種類あるとぼくは思っている。ひとつはファン、ひとつはアーティスト。ファンにはお手本がある。憧れの誰かがいる。ああなりたいと思っている。その衝動によって動かされている。だから、実は誰かの模倣がうまいだけといった連中も少なからずいたりする。

一方、アーティストと呼ばれる者にも、お手本はあったかもしれない。憧れの誰かのようになりたいと強く願ってもきたことだろう。が、いつしかその域を超えてしまった。逆に手本に、憧れにされていたりする。ファンを経過することなく、いきなりアーティストとして現れる者も稀にいるが、いずれにせよ彼らを突き動かすのは「誰かのようになりたい」という思いではすでにない。

というような意味で、林憶蓮は87年の『灰色』によってファンの壁を突き抜けた。このことはカバー曲の多寡とは関係ない。サンタナのインスト・ナンバーに詞をつけた曲など、見事なまでに自分のものにしてしまっているではないか。 聴かせるのはギターでもメロでもない。 林憶蓮その人の声なのだ。これは「哀愁のヨーロッパ」にちょっと詞をつけてみました、えへへ、といった次元とは根本的に異なっていることは明白だ。

めらめらと燃える青白い炎にも似た憶蓮色の情念の世界、それはまさにここに産み落とされたのだった

1998.09